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注文住宅 千葉県柏市 涼温な家 水戸工務店

スタッフ紹介

水戸の大工 | 水戸の大工、揃い踏み!

  • さて、家づくりという土俵上にずらりと打ち揃いましたるは、その名も高き水戸の大工。
    腕一本をたのみに物づくりの道に精魂こめる、一本気で純粋な誇り高き面々であります。

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鈴木秀雄(すずき ひでお)

JOB大工歴1967年~

口はヘタだが腕で見せます

こうやって人と話をすることが一番苦手なんです。親方がお客様に私のことを紹介する時は「こいつはムスムスしていて喋らないもんで」と、いつも言われるんですが、こればっかりは性分で直らないです。口の代わりに手だけはよく動きますので勘弁して下さい。

好きなように家をつくっていいと言われたら、やはり和室をつくりますね。洋室はクロスや壁でおおってしまうので見せ場がないから。その点和室は床の間、長押、欄間、天井と見せ場の連続。天井の高さで色々なもののバランスが決まるんですが、そのバランスのとり方をひとつ間違えると野暮ったくなっちゃう。むずかしいけどその分やりがいのあるのが和室なんです。

水戸工務店は家庭的であたたかい会社。全員で食事をすることもしょっちゅうです。その代わり、親方が怒るとこわいこわい。ちょっとおかしいと即座に「やり直し!」って言われるからいまだに気が抜けません。




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安秋夫(やす あきお)

JOB大工歴1968年~

一つのことをずっと続けていれば 誰しも形になるもんです

この前テレビで相撲を見ていたらある新弟子さんが"本人の知らない間に親同士が決めていた"と話していましたが、私もまさにそう。同郷だった親方のお父さんとうちの父親が「秋夫を大工にするべ」って決めちゃった。中学を卒業したばかりの私が親方のもとへ行く日、母がかまどの陰に隠れて泣いていたのを昨日のことのように覚えています。

ところがもっと忘れられない出来事が、入門2日目に起こりました。その日は上棟式。親方に「○○持って来い」と言われて、何気なく2階の天井裏を通って渡そうとしたら天井を踏み抜いて下まで落ちてしまったのです。

田舎の天井はとても頑丈なので歩いても平気なのですが、その家の天井は竿縁天井と言って、茶室などに用いる繊細なものだったんです。田舎者の私はそんな天井があることすら知らなかった。私も痛い目をしましたが、一からやり直した親方はもっと大変だったと思います。

その頃からもう40年近く経って、人は仕事がきれいだって褒めてくれるけど、一ヶ所でじっと我慢して修業していれば誰だって形になるもんでね。仕上がりが野暮ったくなるのは修業が足りないだけだと思います。『継続は力なり』って、昔の人はよく言ったもんです。




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小林辰成(こばやし たつなり)

JOB大工歴1992年~

息の合った仕事ができるのは プライドを持っているから

勉強が嫌いだったので、大工になれば勉強しなくてもいいだろうと思ってこの世界に入ったのがエライ間違いで(笑)。伝統的な工法、新しい工法ともに熟知していないと時代に合った家づくりはできないので、いまはものすごく真面目に勉強しています。

ただ長くやっている人よりは相当中身の濃い修業をしてきたと自負しています。だいたい水戸工務店では「手をかける」のが当たり前。変な仕事をしていると(棟梁の)親父に壊されるんです。一度つくったものを壊されるって、ものすごいショックなんですよ。もう二度と壊されるものかって、歯を食いしばったものです。

私たちがめざしているのは、建てた後、お客様がなるべく無駄なエネルギーを使わないで済むような、快適で健康的な家。たとえば、後々のことを考えて、手すりをつけられるように下地板を補強しておくとか、子どもが潜って遊びそうなところは角を削っておくとかいうことも、その中に入ります。ずっと快適に住んでいただければ、建て替えまでのスパンが長くなるから、環境保護にもつながっていきますしね。

ベテランから若い大工まで、うちの木組や技術、建てた家の住み心地には自信と誇りをもっています。仕事は厳しいけれど、そのプライドに支えられて人が育っているんじゃないかな。それに親父は厳しいけどなかなかやさしいところがあるんです。それをみんなが知っているから、息の合った仕事ができるんです。




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増田賀一(ますだ よしかず)

JOB大工歴1992年~

技術だけではなく人間を磨きたい

小学校の頃、父が私たちの住む家を建ててくれたんです。私も少し手伝いをして、それが大工になりたいと思ったきっかけでした。私にとって父は常に偉大な存在。大工になった今、私の気づかないようなところに気配りしている父を見ると、「ああ、追いつけないなあ」とつくづく思います。水戸工務店にも、そんな父のおかげで来ることができました。こんなすごい大工さんたちが大勢いるところに来られて、自分は幸せ者だなあと思っています。

父の存在は大きいですが私は私。自分なりに努力して、技術だけではなく人間的にも後輩たちから慕われるような人物になりたいです。安さんたち大ベテランと友也くんたち若手とをつなぐのが私たちの世代だから、頑張って水戸工務店を盛り立てていかなくては!

この工務店は常に上を目指している人たちがいて、しかも仲がいい。こんな雰囲気のいいところは滅多にないと思いますね。

個人的に好きなのは、組立て前の刻み。そういった細かい仕事を、できあがりをイメージしながらしている時が一番楽しいです。




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今野誠(こんの まこと)

JOB大工歴2001年~

手刻みにこだわる そんな大工になりたい

高校生の頃、宮大工に関する本を読んで、大工という職業にとても感動したんです。そして自分も手刻みの仕事をしてみたい、大工になりたい、そう思って仕事先を探しました。でも、最近はなかなか手刻みの仕事をさせてくれる会社は少なくて。工場で事前にカットまで終わらせて現場で大工は組み立てるだけ・・・確かに効率はいいかもしれないけれど、自分の望む大工ではなかったから、妥協はできませんでした。

水戸工務店でお世話になる前にも、5年ほど手刻みで家を作る会社にいました。比べることではないかもしれないけれど、「隅梁工法」など独自の技術を入ったばかりの自分にも隠すことなく教えてくれる、そんな水戸工務店の懐の広さに“凄さ”を感じています。

2012年に結婚し、一家の大黒柱となりました(笑)。大工としてもそうですが、家庭を持つと、さらに家づくりに責任を感じるようになりました。そしていつか家族のための自分で家を作れたら・・・それこそ大工冥利に尽きますね。




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吉田友也(よしだ ともや)

JOB大工歴2002年~

夢がかなって次の目標は ”人の模範とされるような大工”

小さい頃から大工さんになりたくて仕方がありませんでした。工業高校で建築を学び、叔父がここの親方(先代社長)と知り合いだったので、そのつてを頼って「入れてください」とお願いしました。2回断られたけれど、3度目でやっと親方の許しが出て、水戸工務店に入れた時は飛び上がりたいくらい嬉しかったです。

最近は家を建てるといっても、工場ですでにカットされた材木を組み立てるだけというところが多いのですが、水戸工務店では大工の技術を絶やさないために、私たち若手に刻みからやらせてくれます。丸太を買ってきて、皮を剥ぐところから経験させてくれたこともありました。

私はこういう環境で学びながら仕事ができることを、とても有難く思っています。自分も早く全てを任されるようになって、人の模範とされるような大工になりたいです。

親方は私にとっては家庭を離れ社会に出て出会った、もう一人のお父さん。人生を教えてくれる、かけがえのない人です。本当に会えて良かった。これからもたくさんのことを教わって、いい大工になれるよう頑張りたいです。




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入江亘(いりえ わたる)

JOB大工歴2010年~

一つひとつ大事にして ステップアップを目指します

建築系の専門学校で学び、卒業と同時に水戸工務店でお世話になることになりました。ただ今、新米大工として奮闘中の毎日です。

思い起こせば入社して2週間目の頃、先輩のノミの刃が欠けてしまったことがありました。「日曜日に研いでおけ」という言葉が冗談だと分からなくて(笑)。2時間かけて研いで、おそるおそる先輩に渡したのです。

「なんだ冗談だったのに・・・でも、悪くないな」その言葉がうれしいやらほっとするやら。今でもあの緊張感と達成感が自分のベースになっている気がします。

水戸工務店は、いつもは和気あいあい。でも、仕事にかかれば厳しく真剣勝負。新米の僕は、仕事のスピードについてこうと駈けずりまわるのが精一杯です。でも「一軒家を任されるような大工になりたい」という夢を忘れずに、一歩一歩進んで行きたいと思っています。




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関根大貴(せきね ひろき)

JOB大工歴2011年~

無我夢中になれる世界、それが大工でした

父と祖父が大工をしており、2人の背中を見て育ったので、自然に大工になりたいと思うようになりました。高校3年生の時に、初めてのアルバイトで父の手伝いをさせてもらい、こんなに無我夢中になって、あっという間に時間が経ってしまう世界があるのかと驚き、ますます大工への思いが強くなりました。無我夢中になれる世界、それが大工でした

日本の伝統文化である木造軸組工法の出来る大工を育てる「大工育成塾」の塾生となり、水戸工務店にお世話になることができました。最初は現場や作業場でどう動けば良いかわからず、何もかもが後手に回ってよく叱られました。いまも間が悪くて迷惑をかけていますが、それでも少しずつ次にするべきことが見えてくるようになりました。

大工の命である道具の手入れも、時間はかかりますが、コツがわかるようになってきました。丁寧に手入れをした道具で自分が加工したものが、お施主様の家のどこかに使われている場面を想像するとドキドキします。丁寧で真心のこもった仕事をする大工になりたいと思います。

◆第9回大工育成塾を卒業、水戸工務店では吉田真美に次ぐ二人目の大工塾生である。先輩からは「優しい性格」と評されている。




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寺島佑太(てらしま ゆうた)

JOB大工歴2012年~

大工の技術だけでなく、人間として大切なことを教わっています

小さい頃に実家が新築工事をし、その時に来られた大工さんの姿を見て、「カッコいいなあ、自分も将来家を建てる仕事をしたいなあ」と思ったのが、この道を志したきっかけです。専門学校で建築を学び、大工の技についてきちんと学べるところに就職したいと思い、いろいろ調べて水戸工務店を見つけました。募集はしていないと言われましたが、何度もお願いしてついに修業させてもらえることになりました。2012年の4月のことです。

志望した会社に入れたのは良かったのですが、専門学校で学んだことが現場ですぐにできるなどと言うことは全くなく、何をやっても失敗ばかりで、今も先輩たちには迷惑のかけっぱなしです。

それでも自分に強く言い聞かせているのは、「同じ失敗だけはしないようにしよう」ということ。赤ちゃんのような歩みでも、努力し続け、前を向くことを忘れないでいたいと思います。

水戸工務店で働く一番の魅力は、大工の技術だけではなく、人間的に成長させてもらっていると感じられること。一人前にしてやろうという棟梁や辰さんの心に応えられるよう、これからも頑張ります!

◆先輩評は、「純粋」「なかなか根性がある」というもの。将来の夢は自分の手で自分の家を建てること。




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小林俊皓(こばやし としあき)

JOB大工歴2014年~

祖父と父の思い、そして生き様を受け継ぎたい

物心ついた頃から、父のようになりたいというのが私の夢でした。父の仕事に対する真剣さ、そして真面目さを目の当たりにしてきて、男としてカッコいいなという思いがずっとありました。だから迷わず入社・・・と言いたいところですが、正直言うと少しだけ迷いました。果たして自分は祖父や父がしてきたように、ちゃんとやれるのかなというプレッシャーがあったのです。しかし、そんなプレッシャーよりも、祖父が興した会社を続けていきたい、力になりたいという思いの方がはるかに強かった。いまでは大工として早く一人前になることだけを考えて励んでいます。

父から厳しくされることは覚悟の上でしたが、想像以上に厳しいですね。でもそんなことで音を上げるような根性はしていませんから平気です。

先輩たちもフォローしてくれて、水戸工務店ならではの、厳しいけれど温かい雰囲気の中で頑張っています。

祖父は、本格的な仕事のできる大工が今後ますます減っていくのを食い止めようと、私たちのような若手の育成に力を入れています。私たちが日本の伝統技術をしっかりと継承することが、日本の住環境をより良いものにするという信念のもとに取り組んでいるのです。そういう祖父を偉大だと思いますし、同時に家庭を大切にするところも大好きです。仕事も家庭も全力で大切にする、そんな祖父や父のような男になりたいです。

◆小林家の孫たちの中で最年長。2014年春、子供の頃から憧れていた大工の世界へ。修業はまだ始まったばかりだが、「大工にとって必要な素直さを持っている」と言われている。




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宗像六男(むなかた むつお)

JOB左官歴1966年~

左官の仕事は一生勉強。 気が抜けません

兄三人が大工だったので、「お前は左官になれ」と言われて左官の修業をしました。左官の技術を覚えるのは大変でした。この仕事は単にこね方や塗り方を覚えればいいというものではなく、季節や天候に大きく左右される仕事。自然とのつき合い方を覚えないと仕事ができないんです。

ひと言で言うと、こねた材料を柔らかいうちにさばくことが重要なのですが、夏だと速く乾きすぎる、反対に冬には中の水分が凍ってしまう。本当に泣きそうになります。ま、泣いていてもしょうがないから頑張るしかないんですけど(笑)。

そんなに苦労して覚えた左官の仕事が10年程前、クロスに押されて激減したことがありました。私が勤めていたところは会社を畳んでしまい、さあ困ったという時に、手を差し伸べてくれたのが水戸工務店の先代社長でした。先代社長は自然素材の塗り壁が家には一番いいという姿勢を崩さず、私に来ないかと言ってくれたんです。

先代社長は仕事には厳しかったけれど、本当に人情深い人。私は動けなくなるまで水戸工務店でやっていきたいです。塗り壁の材料は日進月歩。どんどん変わっていくので、勉強を続けて、左官の技術では誰にも負けない仕事をしていきたいと思っています。