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匠の技、木造の伝統工法を考える


今年も残すところ後6日、この時期になると46年前のことを思い出す。
16歳の冬、私が大工の修行を始めて一年目の時である。

 

 

 

 

年の瀬も押し詰まった寒い日のことだった。
もう少しで実家のある水戸に帰ることが出来ると、それを励みに仕事をしていたときの事だった。

朝10時の一服のときお客様が焚き火をしてくれ、そこでお茶をご馳走になり火に当たって体を温めていた。

そのとき私の親方はこう言った。

「弟子は焚き火なんぞ当たるな。 手が冷たかったらその辺の柱でもひっぱたいていろ。 そのうち手が暖かくなったくる。」と。

私も意地張りだったのか、その後の一服、休憩の時にはどんなに寒くても火に当たることはなかったが、あの時は涙がこぼれたことを思い出す。

どんなに寒くても、毎日鉋 (カンナ) と鑿 (ノミ) 必ず研ぎ、椿油をつけて大事にしていた。
昔からの大工の口伝で、穴掘り3年鋸5年墨打ち8年研ぎは一生と言われ、刃物が切れなければ仕事が切れるとまで言われた。
そのくらい匠の技は一朝一夕では生まれず、育つこともない。

このようなことを書くと怒る方もいるかもしれませんが、某TV局の「ビフォー●●●●」なる番組のナレーションには腹が立つ。
放映中何度も耳にする「何とかの匠は」と言う言葉である。

個性的な設計や、デザインを考えただけで何の技術もない者に匠と言葉を軽々しく使ってほしく無い。
もちろん良いデザイン、プランもあるとは思うが、デザイン優先、住み心地後回しと言うものも散見する。

本当に涙を流すような努力をして、毎日体を使い努力をして得た技術こそ匠であると信じております。
私も、毎日休まずたゆまず、心臓の鼓動のように努力し続けた結果、職人と言われ、棟梁だと思います。

私が18のときに買った鉋です。
当時、月収はほとんど無く、やっと買ったものでした。
刃を研ぎ、台を直し、壊れてきたら手を加え、ともに歩んで来たものです。
この鉋とは私の妻よりも、どの弟子よりも長い付き合いです。
今は出番もほとんどなくなりましたが、いつでもサッと取り出して切れるようにしてあります。

私の職人としての原点です。