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大工育成塾を卒業した関根大貴君の就職によせて

24日の月曜日大貴君とお母さんが改めて水戸工務店で働きたいとの事で挨拶に来ました。
この4月から当社に就職して働く事になりました。嬉しい事です。
大貴君、これからは一人前の大工職人になるように、さらに一歩進んで自分から勉強していく
覚悟が必要となるでしょう。

もう一人今年高校を卒業した孫 (私の次男の長男)の俊皓が大工見習いの弟子として
3月より片付けや掃除等の手伝いを始めており、4月から本格的に大工見習いとして
働き始める予定です。

私も昭和36年に中学を卒業して働くと心に決めた時の事をしばらく振りに思い出しました。

私が中学を卒業する頃はひとクラス32~33名のうち就職して働く子供は5人ぐらいで、
中卒で就職する子は金の卵と言われていた時代でした。

当時の私は本音を言うとみんなと一緒に高校へ行きたかったのですが、
それを言えば母を困らせる事になるとやせ我慢をして「高校は行きたくないよ」と
つっぱっていた事を思い出しました。

私の中学の担任の先生の一言は「お前の性格は職人向きだ。職人になれ」と、
そして「職人を束ねる棟梁になれ」と言われ、そのまま素直に先生の言う事を聞いて、
単身水戸を離れて、柏の親方の元に住み込みで大工見習いとして働き、
朝は6時から夕方は7時~8時は当たり前の時代でした。
休日は一日 (ついたち) と十五日の二日間でしたが、、母に一日でも早くお小遣いをあげたいと言う
一心で働きました。
つらいとは思わなかったなぁ~。

今から25年前、母が亡くなる10年くらい前、母は「あの時高校にやれなくて悪かったね」と
つぶやくように言ってました。
母は何十年もそんな事を思っていたのかと胸が痛くなりました。
「あの時俺は平気だったんだよ」と言いましたが、母の子供を想う気持ちを教えられました。
誰でもそうだと思いますが、自分の為には頑張れないが誰かの為に頑張れる。
父母や妻、子供の為に働くと言う事ははた (まわりの事) を楽にする事ですと教えられました。

最後に、大貴君、俊皓君、未来の棟梁になる為に頑張ってください。